40代になって、私はもう一度、正社員として働くことを選びました。
正社員に「戻った」というより、自分の人生をもう一度、自分で選び直した。
今振り返ると、そんな感覚に近かったと思います。
働くことが当たり前だった30代
子どもを産む前の私にとって、働くことは当たり前でした。
第一子を出産したときは産休・育休を取得し、生後10か月で保育園に預けて仕事に復帰しました。
朝、子どもを保育園に送り、満員電車に乗って会社へ向かう。仕事が終われば急いで迎えに行き、夕食を作り、お風呂に入れ、寝かしつける。
ときには倒れそうになりながら、それでも毎日を回していました。
仕事を辞める明確な理由もなかったし、母親になったからといって、働かない自分になることも想像していませんでした。
ただ、仕事と育児を両立する毎日は、想像していた以上に厳しいものでした。
第二子を妊娠してからも、激しく混み合う電車で通勤を続けました。産休に入る直前には出血し、そのまま緊急入院することになりました。
それでも当時の私は、「働くのをやめる」という選択を、なかなか考えられませんでした。
仕事を続けたい。
でも、家事も育児もほぼ一人で担う生活には、少しずつ限界が来ていました。
第二子の保育園が決まらなかったことも重なり、私は二人目の出産を機に、正社員の仕事を辞めました。
それでも、社会とつながっていたかった
仕事を辞めても、「また働きたい」という気持ちは消えませんでした。
第二子が2歳になる頃、少しでも社会とつながっていたいと思い、働き方を変えて派遣社員として働き始めました。
夫からは、扶養の範囲内で働くのが一番いいと言われていました。
家族の生活を考えれば、それが現実的なのだろう。私も、そう思おうとしていました。
けれど、いつの間にか「扶養の範囲内で働くのが一番いい」という言葉は、私の中で「それ以上を望んではいけない」という暗示のようになっていました。
家に帰れば、またワンオペの育児が待っています。働いているのに満たされない。
かといって仕事をしなければ、社会から切り離されたように感じる。
仕事を優先すれば子どもに申し訳なくなり、家庭を優先すれば、自分を諦めているような気持ちになる。
私の30代には、働くことに対する葛藤が、いつもありました。
働けない環境で見えたもの
そんな日々の先に、家族でタイへ移住する話が持ち上がり、コロナの始まりと重なるように、私たちはタイへ渡りました。
私はそこで、また仕事を手放すことになります。
働けなくなった私は、家事や子育てを自分の仕事だと思い、毎日の掃除、子どもの支度、料理をできる限りきちんとやろうとしました。
けれど、家事には終わりがありません。
どれだけ完璧に掃除をしても、翌日にはまた汚れます。時間をかけて食事を作っても、それは家族にとって少しずつ「当たり前」になっていきます。
もちろん、子どもが悪いわけではありません。
子どもにとっては、母親が家を整え、食事を作り、いつもそばにいる世界が、最初から当たり前なのです。
会社の仕事のように、成果が数字になるわけでもありません。
誰かに評価されることも、お給料をもらうこともありません。
どれだけ頑張っても、自分が社会の中で何ができる人間なのか、分からなくなっていきました。
そのとき初めて私は、働いて、自分の仕事に対してお金をもらえることは、とてもありがたいことだったのだと気づきました。
私たちの「当たり前」は、世界の当たり前ではなかった
日本にいた頃、夫は朝6時半に家を出て、帰宅するのは深夜0時頃でした。
平日の育児参加は、ほぼありませんでした。
私が子どものことをする。
夫は外で仕事をする。
それが我が家の当たり前で、仕方のないことだと思っていました。
ところがタイで暮らし始めると、世界中から来たさまざまな家族の姿を、実際に目にするようになりました。
家族のあり方も、父親と母親の役割も、本当にさまざまでした。
子育ては、妻だけがするものではない。
母親が自分の仕事や人生を持つことも、決して特別なことではない。
それまで私が「仕方がない」「みんな同じだ」と思っていた生活は、決して唯一の形ではありませんでした。
我が家の当たり前は、世界の当たり前ではなかったのです。
もし私が一度も海外に出ていなかったら、今も「母親が子育てをするもの」「私は扶養の範囲で働くのが一番いい」という考えに縛られていたかもしれません。
海外に出たことで、私は初めて、自分が「当たり前」だと思っていたものを、外側から見ることができました。
自分で使えるお金がないということ
そしてもう一つ、タイで身に染みたことがあります。
それは、自分で働いて得たお金がないことのつらさです。
以前の記事にも書きましたが、カフェでコーヒーを一杯頼むだけでも、
「このお金を使っていいのだろうか」
と考えるようになりました。
家族のお金なのだから、使ってはいけないわけではありません。
それでも、自分で働いて得たお金ではないというだけで、何かを買うたびに小さな遠慮が生まれました。
お金は、ただ物を買うためだけのものではありませんでした。
自分の意思で選び、自分で決めるためのものでもあったのです。
自分のお金がないことは、自分の自由が少しずつなくなっていくことでもありました。
だから、40代で正社員を目指した
タイで仕事から完全に離れたことで、私は初めて、自分にとって働くことの意味を知りました。
私はただ、収入が欲しかったのではありません。
働くことを通して社会とつながり、自分が誰かの役に立てることを実感したかった。
自分の仕事を評価され、その対価としてお金を受け取りたかった。
そして、自分の人生に関わることを、自分で選べる人でいたかったのです。
家族を大切にすることと、自分の人生を大切にすることは、本来どちらか一つを選ぶものではない。
ようやく、そう思えるようになりました。
もう一つ、海外で暮らしたことで、仕事に対する考え方も変わりました。
一度日本の外へ出て、国籍も文化も違う人たちの暮らしや価値観に触れたことで、私の世界はそれまでより大きく広がりました。
せっかくもう一度働くなら、ただ生活のためだけに働くのではなく、少しでも世界が豊かになるような仕事をしたい。
これからの未来や、日本、世界、そして次の時代を生きる子どもたちに、何か一つでも役立つ仕事がしたい。
40代は、社会人としての人生も、そろそろ折り返し地点です。
残された時間を考えたとき、この先を「ただ働く」だけで終わらせたくないと思うようになりました。
自分でも、ずいぶん壮大なことを考えていると思います。
もちろん、現実はそんなに簡単ではありませんでした。
私には、これ一本と言えるような専門的なキャリアがあるわけでなく、正社員として働くことからも、長い間離れていました。
やってみたい仕事と、今の自分が採用される仕事。
自分が社会に対して実現したいことと、これまで積み上げてきた経験。
その間には、想像していた以上に大きなギャップがありました。
理想だけでは、仕事は見つかりません。
それでも、最初から諦める理由にはしたくありませんでした。
すぐに理想の仕事へたどり着けなくても、まずはもう一度、社会の中に戻る。仕事を通して経験を積み、自分にできることを増やしていく。
その先に、自分が本当にやりたい仕事へ近づく道があるかもしれない。
そう考えて私は帰国後、40代で、約10年ぶりに正社員を目指すことにしました。
私が取り戻したかったのは、正社員という肩書だけではありません。
自分の力で働き、自分でお金を得て、自分の人生を自分で選べるという感覚。
そして、これからの自分の時間と力を、何のために使うのかを、自分で決められる人生でした。
働けなかった時間は、空白ではなかった
働けない環境に置かれたからこそ、私は初めて、これから自分がどう働きたいのかを真剣に考えることができました。
仕事ができなかった海外赴任中の時間は、外から見れば、キャリアの空白に見えるかもしれません。
逆に働けず、海外にいるから出来ることを考えるようになりました。
いつかもう一度、自分の力で働くために。
帰国後、社会の中に自分の居場所をつくるために。
私はタイで暮らしながら、少しずつ正社員復帰のための準備を始めていました。
正社員復帰は、私にとってゴールではありません。
これから本当にやりたい仕事へ向かうための、ようやく立つことができたスタートラインだったのだと思います。
働けなかった私が、海外赴任中に何を考え、どんな準備をしていたのか。
そのことは、次の記事で書きたいと思います。

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